いじめ問題と教育|エッセイ|


言葉のマシンガンで言うのは簡単だ。

しかし、教育の現場は戦場のように修羅である。

私は、いじめ問題を真剣に考えている。

善と悪、この判断と決断は、今の大人にあるだろうか。

いじめ問題は、むかしから存在する社会的な課題でもある。

みんな違って、みんな良い、という詩人の金子みすゞ先生を思い出す。

人は、なぜ、対立するのだろうか。なぜ、平和を否定するのだろうか。

私は一般人という立場、民間が大好きである。

人々は競争という猛毒の世界で生きて、公害という名の呼吸をしている。

それで良いのだろうか。いじめ問題は、大人の自我も存在する。

私は、修羅場を歩き、九回は死に直面した体験がある。

生きていることは、当たり前ではない命と魂である。

私は、修羅とか武士という名の言葉も愛している。

この命、人生は、美しい言葉も存在すると私は強く強く感じている。

あなたは、一般人という名の立場が恐いのだろうか。

家庭と学校、地域社会は、私達民間が創ってゆく時代だと感じる。

私は、真実の言葉を信じている。

いじめっていうのは、生き地獄でもあり、戦争でもある。

一対一ではなく、一対百。そんな、いじめって不幸と、心の貧しさである。

だから、私は修羅場を体験してボロボロになって暗闇だった。

それでも、自分自身の魂を信じて立ち上がった、生きる道へ。

今でも闘病生活であり、病気のことは書かないようにと強く感じている。

この世は、誰が創り、誰が中心となっているかを知りたい人々が存在する。

あなたも真実に生きて、一歩、後ろへ、そこから見える景色は何ですか。

 


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